天願大介のなまずブログ

2017年1月27日

なまず元年

年始に昔のSF小説を読み返して、描かれたことの根本が達成されてないことに絶望的な気持ちになった。我々は何も解決できぬまま滅びていくのだろうか。

トランプが大統領になって世間は騒いでいる。もうそういう時代なのだと認識したほうがよい。だってこっちは安倍だぞ。習近平。プーチン。ドゥテルテ。紛れもなく乱世ではないか。ただし、過去の乱世とは質が違う。
もはや未踏の地は存在せず、地球は狭く汚れ息苦しい(火星は遠い!)。進歩発展は頭打ちで理想に辿りつけないことがわかってしまい、かといって過去の栄光に戻ることはできない。格差矛盾は拡大し、苛立っても本気で戦争することもできず小競り合いで人が殺されていく。これまで信じることができた基準は崩壊し人々は自信を失って虚勢をはり、ますます信仰に頼るようになる。宗教だけではない。ナショナリズム・経済学・インターネット、結果が間違っていても認めず信じたいものだけを信じる、それが信仰だ。

絶対的に正しい思想はなかった。テクノロジーがすべて解決してくれるというのは大嘘だった。残念ながら我々に約束された未来などない。わかっているのはこの先ずっと安定しないということぐらい。各国の指導者は人類全体の幸福なんて考えたこともないから、ただ自国の利益がぶつかり合い、無益な闘いに人類は疲弊していく。この闘いに勝者はいない。蜘蛛の糸を争う罪人たちの闘いである(愚かにも、皆一人勝ちしようとしている)。
霧の中を彷徨っていて出口が見えない。もしかすると霧は永遠に晴れないかもしれない。出口はどこにもないのかもしれない。さあ、どうする?
映画的思考でいうと、こういうときは狼狽えた奴から殺される。絶望と恐怖は生き延びる可能性を奪う。世界が終わりになるのはもう少し先だろうから(そう思わないと何もできないので)、恐怖でバタバタ死ぬのではなく、夢見てうっとり死んでいくのでもなく、クールに乱世を生きることを考えるべきだ。
鷲やライオンの時代は終わったのだ。雄々しく勇ましく生き、英雄的に死ぬことはできない。牛や羊のように管理されて平和に生きることも無理だ。諸君、いよいよ、なまずに学ぶ時代が到来したのである。
沼地汚泥に棲むなまずはタフで悪食でしぶとい。全世界に広がり各地で巨大化し、環境に応じて様々に形を変えて生き残る。毒があったり電気を放ったりするものもいる。でも顔はちょっと可愛いし食うと美味い。昆虫よりは随分賢いと思う。
密林の湿地に浸かったベトコンのように、しぶとく耐え、霧に乗じて攻撃し、また気配を消して沼地に潜む。これを相手が狂うまで続ける。なまずのゲリラ戦だ。中国にもアメリカにもベトナムは勝った。ちなみにベトナムのなまずは美味だ。

ということで今年はなまず映画の新作を撮るつもりだけど──そうそう、その前に五月に「天願版カリガリ博士」という舞台をやるのだった。今台本を直しているところだが、これはアングラの怪優たちと糸あやつり人形とのバトルで、新乱世にふさわしい悪食デタラメな舞台になる予定。なまず映画をお好きな方々はかなり期待していいですよ。

霧は永遠に晴れないかもしれない。そのときはそのとき。なまずにとっては霧は味方だ。出口が見つからないなら、掘っ立て小屋でも建てて客が迷い込むのを待つとしよう。目先の餌に食いつくのだけはやめて、頭を使って正解のない時代を賢く生き延びようではないか。不純乱暴上等。精神的地震を起こせればもっとよい。

なまず元年のご挨拶でした。

2月18日は千駄木の蔵で「魔王」「赤の女王」二本上映いたしますのでよろしく!