天願大介のなまずブログ

2016年10月19日

安部公房、ディランとハリケーン

ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞した。
ノーベル文学賞といえば、編集者だった頃、毎年発表の晩に待機していたことを思い出す。僕は新潮文庫編集部で、安部公房氏の担当だった。受賞すれば大増刷になるから「ノーベル文学賞受賞!」の帯を用意して待っていたのである。残念ながら受賞はなかったけど、安部公房には充分その資格があったと思う。
安部さんと最初に箱根でお会いしたとき、安部文学のファンであった僕は、思わず「新作をもっと書いて下さい」というようなことを口走ってしまった。その頃の安部さんはタイヤのチェーンを発明したりエッセイを発表してはいたが、新作はなかなか出ていなかったのだ。  安部さんは困ったような顔をして、「今村君、書くということはね、考えたことを書くのではないんだな。書きながら考えるということなんだよ」と言った。今の僕にはそのことがよくわかるし、ときどきあの言葉を思い出す。安部さんは魅力的な人だった。

画:猿松細人

ボブ・ディランが受賞したことは大変めでたい。驚くことはない。安倍さんのように取れないときもあるけど、取るべき才能が取れるときもあるということだ。

僕の高校は都立の全寮制で(今はもうない)、そこではTVがないのでみんなラジオとカセットで音楽を聴いていた。僕はラジオの演芸番組やラジオドラマをテープに録音し、相撲中継に熱中した(ひいきは北の湖)。まるで老人みたいだが、TVもネットもスマホもなければ自然にそうなる。あの頃演芸やドラマを聴き込んだことは後々大変役に立っている。
しかし映像に飢えていた僕は、外出が許される週末になると名画座をハシゴした。当時はどこも入れ替え制ではなかったので、気に入った映画は何度も繰り返し見た。更に古本屋でキネマ旬報のバックナンバーを探す。当時はシナリオ採録というのが掲載されていて、週末に観た映画のシナリオ採録を平日に読むのである。読みながら頭の中で映画を思い出す。脳内DVDで、これもいい訓練になった。
それはともかく、一年生のとき隣の部屋にいた岡田初彦がディランの大ファンで、ディランの才能に驚愕した僕はそれから夢中で聞くようになった。ちなみに岡田は独学でプロの写真家になり、後に『妹と油揚』の撮影を担当、今も広告写真の世界で活躍している。
その頃、「欲望」というアルバムが出た。これは紛れもなく名盤だが、中でも最初に収録されている「ハリケーン」という8分半の長い曲が僕には決定的に衝撃的だったのだ。

欲望:ボブ・ディラン

それはルービン“ハリケーン”カーターというミドル級の黒人ボクサーが、冤罪で逮捕されすべてを奪われ監獄にぶち込まれていることを怒りとともに歌った曲で、全世界で大ヒットした。ディランは喋るような叫ぶような早口で殺人事件を叙事的に伝えながら、人種差別と不正義がどれだけ卑劣なことか、今も獄中にいる「かつては世界選手権もとれたはずの男」を救うのだと訴える。

「背広とネクタイをつけたすべての犯罪者たちは
 自由にマーティーニを飲み、日が昇るのを観る
 一方ルービンは三メートルの独房に仏陀のようにすわる」
(片桐ユズル訳)

シングル盤のジャケットはファイティング・ポーズを取ったハリケーンの写真だった。
政治の季節が終わった僕の世代にはプロテスト・ソングは過去のもので、世間には愛だの恋だの叙情だのを唄う歌ばかり流れていた。だから「ハリケーン」は衝撃的で高校生の僕の心にずしんと響いたのだ(アレン・ギンズバーグのライナーノートを読むと、アメリカでもプロテストの復活という印象だったことがわかる)。「ハリケーン」は現実の事件をモチーフにしつつ、技巧を凝らした文学的表現が随所に見られる。アジテーションで終わらない品格があるのだ。ディランのエピゴーネンは日本のフォークに溢れていたけど、詩も曲も歌も品格も、底力がまるで違う。
ディランは獄中のハリケーンに面会に行き、曲を作ったという。道でバイオリンを弾いていた女性を偶然見かけ、スタジオに連れて行って弾かせたという。彼女のバイオリンは素晴らしいし、ハリケーンは後に釈放された。才能とはつまりこういうことだ。

ローリング・サンダー・レヴュー:ボブ・ディラン

二十数年後、ハリケーンの物語は『夜の大捜査線』『月の輝く夜に』のノーマン・ジュイソンによって映画化された。『ザ・ハリケーン』、ハリケーン役はデンゼル・ワシントンで、ディランのことも少し出てくる。

気持ちが落ち込んだ日は「ハリケーン」を聴くといい。ディランの歌声からは怒りだけでない、信念ともいうべき力強い何かが伝わってきて、静かに、しかし諦めず闘う気持ちになれる。ボブ・ディランは殴られても蹴られても歌い続けたあのウディ・ガスリーの精神的息子、「道端の詩人」なのである。より激しいのが好きな人には「ローリング・サンダー・レヴュー」のライヴ音源も発売されています。

さて、なまず映画の福島県いわき市の上映が決まった。いわきまちなかアートフェスティバル「玄玄天」という芸術イベントで、11月4日に『魔王』と『赤の女王』を上映する。僕も行きます。
東北で上映するのは初めてなので、この機会に是非おいで下さい!
東京の方は10月29日(土)下高井戸のねこカフェ「不思議地底窟 青の奇蹟」での上映もよろしく。