天願大介のなまずブログ

2016年9月14日

今村昌平のドキュメンタリーを上映します! もちろんなまず映画も。

お伝えしてきたように、9月17日土曜日、なまず映画と一緒に今村昌平のドキュメンタリーを上映することになった。
今村昌平は調査が大好きで、脚本を書くときも背景や人物を徹底的に調べた。今村プロの調査は警察より凄いといわれていたとか。そのうち、俳優が再現する劇映画よりも現実のほうが面白い、とドキュメンタリーを撮るようになった。
初のドキュメンタリー『人間蒸発』は完全に狂った映画だが、これを撮ることで、劇映画でないことの「不自由」よりも、劇映画では許されない「自由」を発見したのだと思う。今村の中でドラマとドキュメンタリーの垣根が本質的に存在しないことがよくわかる(たとえば被写体の中心である女性を今村は「女優」と呼んでいる)。
その後、今村の興味は「棄民」へと向かう。「棄民」とは、国家に利用され棄てられた民のこと。今なら福島や沖縄がまさにそうで、マスコミは取り上げたがらず権力は隠したがる。そのままにしておけば歴史に埋もれて、なかったことになってしまう。誰かが掘り起こし、記録し残しておかなければならない。
今村は東南アジアを駆け巡って人に会い、取材を重ね、「棄民シリーズ」と名付けた作品群を作った。兵隊には行かなかったが戦時を体験した世代として、戦争と日本人は生涯のテーマだった。
その中から、今回は『からゆきさん』(1973)と『ブブアンの海賊』(1972)を上映いたします。

『からゆきさん』より
『ブブアンの海賊』より

『からゆきさん』は売春婦として東南アジアに売られた女性たちを追ったもの。淡々と現実が描写されるうち、過酷な半生の裏に日本での被差別が浮かび上がってくる。これは代表作のひとつで、面白いだけではなく、心が震えるような、忘れがたい場面がいくつもある。
『ブブアンの海賊』は柳田国男に傾倒していた今村の民俗学的ドキュメンタリー。小沢昭一、北村和夫、江守徹などの俳優たちが堂々と吹き替えをしているのには愕然とするだろが、細部の積み重ねが大きな社会問題に繋がり、この監督の強みが社会科学をベースにした構成力(脚本力)だということがよくわかるだろう。
なかなか見る機会がないので、この機会にぜひご覧いただきたい。目白の日本庭園の中にある瀟洒な庵で上映します。
もちろん、なまず映画『魔王』『赤の女王』も上映いたしますので、お楽しみに。

やがて今村昌平はドキュメンタリーの時代を経て『復讐するは我にあり』で劇映画に回帰する。ドキュメンタリーにはドキュメンタリーの「不自由」がある。徹底的な取材調査をドラマに加工することで、ドキュメンタリーでは撮れない領域に踏み込もうとしたのだろう。それ以降、今村がドキュメンタリーに戻ることはなかった。
俺も両方撮ってみて感じたのはドキュメンタリーは作り手の意志が剥き出しになってしまうということ。ドラマなら脚本や俳優や様々な要素が間に入るので誤魔化せても、ドキュメンタリーは全部見えてしまう。だからとても恥ずかしい。ドキュメンタリー作家というものは露出狂的体質か羞恥心がないか、どちらかなのだろう。
これは意外に、本質的なことかもしれません。