天願大介のなまずブログ

2014年7月14日

『魔王』解説対談 天願大介×田辺秋守(1)於 2014年6月29日 ザムザ阿佐ヶ谷

田辺秋守 Tanabe Shuji
日本映画大学准教授。専門は現代哲学・現代思想・映画論。著書に「ビフォア・セオリー 現代思想の〈争点〉」(慶應義塾大学出版会、2006)。『カンゾー先生』(今村昌平監督、1998)ドイツ語指導監修。週刊「図書新聞」映画評(「現代思想で読む映画」)連載中。

天願本日はご来場頂き、誠にありがとうございます。途中停電があったり、ゲリラ豪雨、落雷と色々なことはございましたが(笑)、取り敢えず滞りなく終わりました。トークが終わる頃には雨も上がるでしょう。『魔王』の監督の天願大介です。今日は映画大学で一緒に教えている同僚で、哲学の先生であり、この映画ではドイツ語指導をやってくれた田辺秋守先生と解説トークをやってみようと思います。それではまず田辺先生に、これがいったい何なのか、ということをお伺いしたいと思います。

田辺ええ……何なんでしょうねえ(笑)。月船さんがドイツ語を喋るという設定の役で、何でドイツ語なんだっていうところもあったんですが、その翻訳指導で若干この映画に関わりました。それで天願監督が書いたシナリオを草稿の段階から渡されて、何回か熟読したんですね。で、月船さんが演じているところの嘉子、彼女がドイツ語で話をしている相手は誰なんだと監督に聞きました。そうしたら天願監督は相手はドイツ人ではない、ロシア人であると(笑)。だから日本人とロシア人の間でドイツ語でかろうじて話が通じている、そういうドイツ語だということでした。
ちなみに魔王、若松さんが演じる魔王が、何度も何度もステーキハウスで肉を食ってますけれども、あのステーキハウスの名前が実はロシア語で「ゴルバチョフ」と表記されているんです。これは覚えておいたほうがいいかもしれません(笑)。
まあ天願監督とは付き合いも長くて、処女作から、天願監督の映画をほとんど全て観ている人間なんですが、この映画がいったい何なのかということを少し分かり易くする為には、幾つかの方法って言うか、幾つかの道があると思うんですね。その一つは彼のフィルモグラフィーです。彼がどんな映画を撮ってきたのかということをちょっと振り返ってみること。もう一つはこの映画が日本の中では孤立してるような印象を受けるかもしれませんが(笑)、決してそんなことはない。いや、日本の中ではそうかもしれませんけど、ある種の世界性と言うか、世界的な同時代性を持った映画だと思うんです。これは身びいきで言ってる訳ではなくて。それで、もう一つお話しすべきなのは、同時代的な海外のどんな作品と似ているのかということです。
まず一つ目ですが、思い出すのは2007年に天願監督が撮った、ご自身でも代表作であると呼んでいる『日本で一番美しい夜』。

天願『世界』で。


田辺あ、すいません(笑)。ええ、日本じゃないです、『世界で一番美しい夜』でした(笑)。もちろん観られた方もいらっしゃると思うんですが、この映画は神々の映画なんですね。神々が主人公である。とりわけ日本神話ですね、古事記に登場するアマテラスやスサノオを中心とする、そういう神々を現代に移し替えて撮った映画です。主なテーマは、日本病である「不妊」ですね。子供が産まれないという日本の現状を神々がどう変えるのかという。そこで出てくる解答は、強力な媚薬の発明であると。日本はすでにナチュラルハイと言ったらいいか、あるいは自然な多産性というのはもう終わっている国なのだ、という認識があるかと思いますが、それを解決するのが人工的な強力な媚薬である「縄文パワー」です。
そういうわけで『世界で一番美しい夜』は、日本神話を脱構築する映画だったと思うんです。そのつながりで言うと、今回のこの『魔王』という映画も神々の映画だという気がします。では何の神々かというと、私は専門違いで詳しくありませんけれども、易であったり風水。風水の神々が主人公です。
若松さん演じる、名前はなくただ歴史資料館の館長とだけシナリオに書かれている男が、あれを魔王と解釈するならば、その魔王が、まあ天願監督自身がパンフレットにちょっと書いてますけれど、「大将軍」という神の名を持つ者であり、もう一方は主人公である月船さんが演じられている嘉子、別名「天一」という、相対する神という見方ができるでしょう。
ただし、2007年の『世界で一番美しい夜』と『魔王』との間には7年という歳月があり、その間にご存知のとおり3.11という大きな出来事がありました。天願監督は3.11以降いくつかの芝居を発表しています。『引き際』と『なまず』という一連の芝居があって、それにつながる形でこの『魔王』ができたという感じがするんです。
では『魔王』という映画は、具体的にどんなジャンルの映画なのかと聞かれたら、私は、これは撮影に入る前の段階で天願監督と喋ったことがあるんだけど、私の言葉で言うとこれは「コスモロジー映画」であると。若干哲学が入りますが(笑)、「コスモロジー」というのは「世界の秩序」ですね。世界の秩序についての映画。だから当然のことですが、神々による世界の操作だったり世界に対する解釈だったりというものが頻繁に出てくる。そういう映画だと観ています。
ただし、この『魔王』の面白いところというか、独特なところは、この世界秩序の、正しい秩序っていうのかな、そんなものは存在しないというところが出発点になっている。3.11後ですからまさにその象徴的な秩序、世界の秩序は狂っている。あるいは映画の中の言葉でいうと磁場が狂っている。この映画の舞台の前提になっているのが「羅針盤のない世界」だと見えるんです。敢えて言うと『世界で一番美しい夜』はそういう意味ではまだまだ希望がある映画だった。「縄文パワー」はかなり人工的な力ですけれども、それはどちらかと言うえば「ラインの黄金」なんですが、『魔王』に至ると実は神々も力を失っているという、「神々の黄昏」の映画って言うのかな。ちょっとまとめすぎてますが(笑)。


天願 『世界で一番美しい夜』というのは停電の映画です。電気を停めるということがクライマックスにある映画なんですが、電気を停めて夜を復活させる、明るい夜ではなく暗い夜を復活させる、それは原始の力を取り戻すというような意味あいでした。しかし、その後何が起こったでしょう。原子力発電所が壊滅的な事故を起こしました。地震と津波で。で、その時に秩序が崩壊したっていうのは、そうかもしれないけど、そもそも最初から秩序があったのかという話ですね。かなり馬鹿馬鹿しいっていうかね、ふざけた話だったと思うんですよ。
もしここに被災者の方がいらしたらごめんなさい。例えば「絶対安全」ということが前提にあるから避難訓練をしなかった。これってギャグだと思いませんか? 原子力発電所がなぜメルトダウンしたかっていうと、停電です。全電源喪失があった。日本人には笑えないけど、これもギャグですね。今度は汚染水を食い止めるために土の中に棒を埋めて全部凍らせる凍土壁を作ろうとしてる。どうやって凍らせるかわかります? 電気で凍らせるんですって。これもギャグですよ。他所の国のコメディアンだったら平気で喋って大ウケする、ブラック・ジョークのような状況なんです。
その中で、我々は当事者ですから笑ってるわけにもいかないので、深刻な顔をしてなんとか元に戻せるにはという話をしている訳です。元には戻せません。戻せませんがそれが悪い冗談であるということは我々は認めたくない。日本というのはそういう国でして、笑われることが嫌いなんです。
しかしですね、僕はそういう馬鹿馬鹿しい状況を映画にできないかと思ったわけです。もちろん自主映画だからといって、僕はずっとこういう仕事してますから、誰かをことさら傷つけるという目的でものを作ったりはしません。しかしこの映画の企画が通る可能性はゼロです。別にそういったテーマだからってことじゃなくて、ゼロですね、これは(笑)。

今の日本を僕がどう見てるのかってことを正直に考えていくと、これはもう悪い冗談であるとしか思えない。そこで我々芸能に携わる者が考えなければいけないこと、我々の役割とは何か。それは顰蹙を買うということでしょう。悪ふざけをしなければならないのです。
当事者同士だと悪ふざけしていても楽しくないですね。痛々しい感じになってしまいます。だから、もう少し超越した何かが、この狂った世の中を楽しむように存在する感じにできないか。それで今、「大将軍」の説明がありましたけれど、あれは星なんです。中国の古い占星術では、いろんな星に役割がありそれらが地上に降りてきて悪さをする。そこからこの物語をスタートしたわけです。
我々も日常的に、縁起を担ぐとか方角が悪いとか仏滅だとか言っているわけで、根本的にその考え方がどこから来るのか考えていくと、つまり地球ってものがあって我々がそこに生きているからです。北極があって南極があるから、方位方角というものがある。しかし実は何度も南極と北極は入れ替わっている。一番最近では78万年前に逆転しています。天体同士の距離も変化しているし大陸も動いてる。実は全てのものが動いているんです。しかしそれは盤石で永遠に続いているという前提で、方角が悪いだの何だの言っているわけです。方角なんて変わり続けているのに。だからそれ自体が滑稽な感じがするんですね。もちろん僕もその滑稽な者の一人です。僕もそこから逃れることはできません。自分も含めて我々は滑稽な存在なのです。
……あの、これって全然(天願と田辺の)会話になってないですね(笑)。まあ、こういうことです。我々の間には「映画」があり、いつも「映画」を間にして二人で話すんだけど、なんかお互いに違うこと喋ってるような気がする。それが大人の会話ということです(笑)。