天願大介のなまずブログ

2014年4月25日

易について

なまず映画「魔王」の上映はまだまだ続く。打ち切りがないのでずっと続く。貸し小屋だけでなく、居酒屋、銭湯、お寺などいろんな場所になまず映画は棲息しているので、出現したときはぜひ一度覗きに来ていただきたい。

さて──生きていれば我々の前にいろんな選択肢が現れる。それを選び、決めながら進んでいく。するとまた選択肢が現れる。今日何を食うかなどの大したことのない選択もあれば、今後の人生が決まってしまうような厳しい選択もある。アミダ籤と違うのは、選択すれば必ずこうなると決まっていないところだ。運命論者はすべて必然だと言うが、ものによっては戻ってやり直すことだってできる(その分時間はロスしてしまうけど)。
しかし、人生にはいくら熟考しても判断しかねることがしばしばあるのだった。例えばどう考えても確率が半々のとき。それでも選ばねばならないとすれば、どうしたらいいのだろう。誰かにアドバイスをしてもらうのもいい。でも、それでも決めかねるときはどうする?
そこで古代中国で易経というものが生まれたのだった。簡単に言うと、人智を尽くして答えが出なければ、人間がいくら考えても判断しようがない。だから思いきって天に聞いてみるのである。天気がわからないとき下駄を投げるのと一緒だ。
では天の意志をどうやって知るのか。それは偶然の組み合わせによってわかるという。偶然を知るには、棒を選り分けてもコインを投げてもトランプのカードを引いてもよろしい。

64卦の表。八卦を二つ重ねたそれぞれに、意味不明な不気味な名前がついているのも面白い。 世界の秘密がすべてこの中にあると考えるか、ただの無意味と考えるか。

古代中国の思想ではすべてのものは陰と陽に分かれる。陰の棒と陽の棒があるとして、それをまず三本組み合わせる。例えば陰・陰・陽とか陽・陽・陰とか。その組み合わせは合計八つになるだろう。これが八卦、当たるも八卦当たらぬも八卦のあれだ。詳しくは書かないが、それぞれ天・沢・火・雷・震・風・水・山・地の象と呼ばれる。
その象を二つ合わせると(三本の倍だから六本)、組み合わせは八×八で六十四通りになる。これで六十四卦。
六十四卦それぞれ陰と陽が六本だから、手順としては、まず六十四のどれかを偶然選択し、次にそれぞれの卦の六本のうちのどれかを偶然選択する。組み合わせは六十四×六になる。これが天の答えだ。

出てきた天の答えを解説したのが易経なのである。俺は高校生の頃、たまたま図書館で手に取ってそのわけのわからなさに驚愕し、以来興味を持ち趣味的に眺めてきた。読めば読むほどわからない。しかし面白い。中国には古来、「易と説文にだけは淫するな」という戒めがあるという(説文は漢字の語源の研究書)。それぐらい、のめり込むと人生を壊すほどの恐ろしい書物だということだ。
で、易経に何が書いてあるかというと、例えば六十四卦の一つの「大畜(だいちく 山天大畜)」の五本目(易では下から数える)は「去勢した猪の牙。吉」とある。悩みに悩んだ末に天に聞いたら「去勢した猪の牙」と出るわけだ。吉と書いてあるからといって信じてはいけない。何で去勢した猪の牙が吉なのか自分で考えないといけないし、もしかしたら悩みによっては逆の意味になるかもしれないから。おわかりかな。
「?(けい 火沢?)」の六本目だとこんな感じ。
「そむいて孤独。背中に泥をいっぱいつけた豚と車いっぱいの幽霊を見る。先に弓を張ってこれを射ようとするが、後にはそれを外す。敵対するものでないとわかり親しく結ぶ。行って雨に遭えば吉」
ただ読んだだけでは何がなんだかわからないだろう。しかし、もしあなたが死ぬほど悩んだ果てにこの卦を出したとすると、思い当たることがきっとあると思う。
つまり卦は正しい答えではなく、卦をもとに更に考えることで違う角度から判断できるようになる、ヒントのようなものだと思えばよろしい。
そのため易はいくらでも解釈が可能だし、どう訳すかで意味がまったく違い、古来より様々な解釈書や翻訳書が書かれてきた(朝鮮にも日本にも沢山ある)。それらを並べてみると、古代中国のわけのわからない文言の意味を、人生を費やして真剣に考えた人たちがいたということに感動する。そもそも何の意味もないかもしれないことを研究するのが学問というもので、金になりそうだから肩書きが欲しいから研究するなんて品性の卑しい奴を、俺は学者とは呼ばない。

遊び半分で占っても天は答えてくれない。自分に関わることを占うのが本筋。易者など信じてはいけない(赤の他人のことを真剣に占えるわけがない)。

陰と陽の組み合わせは0と1の二進法のパソコンと相性がよく、易のソフトは沢山ある。ネットで占ってもいいけど、そこに出ている解釈を信じるのではなく、注釈書を何冊か手元に置いて原文を味わい解釈を比べてみることを是非お薦めします。
易は英語にも翻訳されていて(英語では「変化の書」)、やはり多くの人を狂わせた。易にのめり込んだフィリップ・K・ディックが易で展開を決めた小説「高い城の男」を書いたのは有名だ。俺もずっと研究してきたので一度ぐらいやってみようかとも思うが、自分で考えたほうが楽なのでやらないだろうな。
英語で「変化の書」と訳された理由は、古代中国ではすべのものは変化し続けると考えるからだ。例えば今一番運気の強いものはやがて下がっていくので、吉ではない。一番弱いものはどんどん上がるから吉と見る。ということは、出た卦も不安定なものでしかなく、これからどっちに変化するかまで考えなければならない。非常にややこしいのである。
ちなみに『魔王』の中にも魔王が易を立てる場面がある。方角に取り憑かれた魔王が易を立てないほうが不自然だからだ。画面には筮竹も映っているけどそれは別なことに使っていて、魔王が占う方法はコインを投げる擲銭法(その省略版)だ。さっき書いたように、偶然であればどの方法でもよい。陰と陽の二択の組み合わせなので、角から次に出てくるのが男か女で占う無筮立卦というのまである。
魔王は精神を集中してコインを投げ、出した卦は脚本上は「噬?(ぜいこう 火雷噬?)」の六二(先の例えだと下から二本目)。
易経によれば、これは「鼻がめり込むほど柔らかい肉を噛む」という卦である。この卦はそれほど悪い卦ではないのだが、それも解釈次第。果たして魔王がその後どうなったか、それは映画をご覧下さい。