天願大介のなまずブログ

2014年3月29日

痩せた男とデブ男について

『魔王』は絶賛公開中です。転々とする上映会場でお待ちしております。

さて、俺の映画にはいつも姓名のない役がある。今回は「痩せた男」と「デブ男」だ。

すべて自分の毛である。鴇巣の餓死寸前の肉体は次回作で公開する予定。

「痩せた男」は俺の映画のほとんどに出演している鴇巣直樹に頼んだ。
鴇巣は万年失業者で、いつも栄養失調寸前というか餓死寸前の男だ。こいつは小学校六年のとき転校してきて俺の隣の席に座った。元売れっ子の子役で豊頬の美少年だったのが、その頃もう不気味な顔に変貌しつつあった。とにかくぼんやりしている。動きが恐ろしくスローモーで運動神経もリズム感もゼロ、しかも頭が悪い。
俺は密かに「コレクション」に加えることにした。

高校から別々になったが、しばらくぶりに会うと背が伸びてますます気味の悪い風貌になっていた。いつ会っても、自分がひどい目に遭ったということを大袈裟に喋る。一つも面白くない。学習能力皆無なので何をやらせても向上しない。なのにどういわけか自分は何でもできると思い込んでいて芸術家に憧れ文章を書きたがる。戯曲を読まされたが想像を絶するひどさだった。言語センスがないのである。
この逸材を放っておくわけにもいかず『妹と油揚』で妖狐の役に抜擢したら、主演男優賞を受賞しやがった。以来俺の映画や舞台にいつも出ている(大抵死ぬ役)。俺が脚本を書いた『セプテンバー11』の日本篇(今村昌平監督)にも出演して田口トモロヲさんを足蹴にし、あれはカンヌをはじめ全世界中で上映されたんだけど本人はとっくに忘れている。記憶力が想像を絶するほど弱いのだ。
母子家庭で育ったためか男っぽさは皆無、女性がいるとすぐ近づいてニコニコしている。喋るのは大袈裟に脚色した嘘か受け売りの知識ばかりだから女たちに軽蔑されているが、本人はいたって平気だ。神経も鈍いのだろう。
何食っても太れないのに髪だけは伸びるんだよなあ、と愚痴を言う。顔色は死人のようなのに頭髪は異常に多く艶々している。すべての栄養が髪に流れているのだ。しかも、こいつのいるところ物凄い量の抜け毛が落ちているのである。気持ち悪い。
気弱で貧相、酒も飲まず貧乏なくせに高価な煙草を嗜み死にかけた猫(その状態で何年も生きている)を溺愛している。体力がないのでどこでも死んだように眠れる。起きると必ずそんなに寝てないと言い張る。最近は年のせいか体力が尽きると涎を垂らすようになった。
「痩せた男」は普通の人間ではない。神様の末端というか、どちらかというと妖怪に近い。こういう役を演じるのは鴇巣の得意である。しかも肉を食う場面があり栄養の補給まで可能だ。
たらふく肉を食って満足した鴇巣は大イビキをかいて現場で熟睡していた。気づけば栄養を得た髪がまた数ミリ伸びたようだ。ただ抜けるだけの髪の宿主として生きているなんて、人類として恥ずべきことではないか──これ以上鴇巣を褒めるのは俺のプライドが許さないのでやめにする。

「デブ男」役の渡辺紘文は俺の教え子だ。こいつはまるでセンスがない。何を教えても満足にできない。なのに運だけはよくて卒業制作の監督に選ばれた。
日本映画学校を卒業してしばらく現場に出ていたが、仕事がなくなり食い詰めて田舎に戻った。栃木の大田原という町だ。
電話を掛けてきて、僕はまだ映画を諦めきれませんなどと泣くので、怒鳴りつけてやった。東京じゃないと映画が撮れないと誰が決めた? 映画の撮り方は教えたはずだ。撮りたければ大田原で映画を撮れ、馬鹿!
一年後にまた電話があった。唯一雇ってくれたプールの監視員を一年間やって金を貯めてカメラを買いました、これで映画を撮ります、という。馬鹿の一念というものは恐ろしい。
仲間はいるのか。いいえ、友だちは一人もいません。弟がいただろう、それで二人だ。はい、二人です。よし、映画を撮れ。わかりました、では失礼します。ちょっと待て! 男の門出だ、お前の映画制作集団に俺が名前を付けてやろう。
そして俺は「大田原愚豚舎」という素晴らしい名前をプレゼントしてやったのである。感動のあまり兄弟で抱き合って泣きじゃくったというから、弟(作曲家)も馬鹿なのかもしれない。
渡辺は必死で映画を撮り何とか完成させた。スタッフは総勢四人。主演は渋川清彦さん(素晴らしい演技を見せてくれた)でタイトルは『そして泥舟はゆく』。
あちこちのコンクールに送るが全敗、まあ仕方ないと思っていたら、どういうわけか東京国際映画祭で上映されることになった。やはり運だけはいいのである。
六本木の上映に行くと似合わない背広を着た渡辺は異常に太っていた。昔からデブだったが倍に膨らんだ感じだ。貧困のストレスと東京国際で舞い上がって馬鹿食いしたためであろう。首というものが存在しない。ぶよぶよした立方体になっている。うーむ、これは「コレクション」に加えるべきかもしれない……。

やはりデブにはスキンヘッドがよく似合う。出番の前は緊張で震えていた。

『魔王』を書いた後、デブ男のキャスティングで迷い、渡辺を呼んで演じさせてみた。渡辺は何を勘違いしたか仲代達矢のような演技をし始めた。ひどい。こんなひどい芝居は見たことがない。何よりも仲代先生に失礼だ。俺が沈黙していると気の弱い渡辺は取り乱し、やがて錯乱し汗まみれで目をぱちぱちしている。不愉快だ。俺は渋々「コレクション」に加えることにし、スキンヘッドで眉毛を剃り落とすという条件で出演も決めた。
現場でも渡辺は緊張で台詞を全部忘れ、一つの動きを永久機関のように繰り返したりした。それは仕方ない。俳優は簡単になれるものではない。しかし、鴇巣の取り柄が餓死寸前であるように異常に太っていることだけが渡辺の魅力で、それは「写る」。映画にとって「写る」ということは一番強いのである。
ちなみに『そして泥舟はゆく』は大田原の凱旋上映で大田原市民を沈黙させ、ヘルシンキに呼ばれて北欧の客を愕然とさせ、調子に乗って4月に新宿ゴールデン街劇場で上映するらしい。ひょっとして底なしの強運の持ち主なのか……。
『そして泥舟はゆく』は映画界から落ちこぼれた本物の馬鹿(しかもデブ)が馬鹿の一念で撮った映画です。苦しみながら本気で撮り、完成させました。掛け値なしに一見の価値があると思います。
『魔王』とともに『泥舟』もぜひ見てやって下さい。