赤の女王 牛る馬猪ふ

なまずブログ

2015年7月28日

老人の「型」の謎

多くの人にとってはどうでもいい話だけど、昔から気になっていることがある。
老人の喋る言葉を表すとき、「わしは××じゃ」とか「婆さんや、何ともいい景色じゃのう」なんて書いたり言ったりするでしょう?
あれが不思議なのだ。時代劇ならまだわかるけど、俺は今まで生きてきて、そんな風に喋る老人に一度も会ったことがない。だからあんな台詞を書いたことはないし、書くやつはどうかしてると思う。

幼児から子供に、子供から大人になるとき、話し言葉は変化する。「ブーブー」が「車」になったり、「僕」が「俺」になったり「パパ」が「親父」になったり。それは生活エリアが広がって他者を意識し、恥ずかしいという気持ちが芽生えてくるからだ。大人になってからも立場によって言葉は微妙に変わる。しかし、老人になったからって突然喋り言葉を大幅に変えるなんてことはあり得ない。意識は連続しているからだ。
この表現が目立つのは例えばアニメ。アニメは画力がないと表情に差をつけにくいから台詞や音で誤魔化す。皺を数本足しただけの顔で「わしは××じゃ」と大袈裟に言わせると、客は「これは老人なんだ」とそのお約束を受け入れる。これは漫画も同じ、というより漫画からアニメに伝わったのだろう。
他にも新作落語や漫才・コントなどでも多用されていて、大袈裟に腰を曲げてよちよち歩いてあの喋り方をすると、客は「老人だ」と受け入れる。小劇場の芝居でもたまに見ることがある。まともな小説ではさすがに使われないが、翻訳小説だと時折出てきてうんざりさせられる。
要するに、「わしは××じゃ」は「老人の描写」ではない。演技力や画力、文章力のなさを誤魔化す目的で使用されている「老人の型」なのだ。
語彙からすると、ルーツは方言だろう。ちゃんとした方言ではない、方言モドキだ。
江戸落語の田舎者の言葉は決まっていて(「えかく」とか「おら」「ぶって」)、あれは江戸から見て田舎と思われる北関東や甲州信州の方言をミックスして「型」にしたものだ。江戸の連中はそれを聞いて、ああ、いかにも田舎者の感じであるなあと笑った。
「わしは××じゃ」もそれの仲間だ。方言だとすると上方発祥の可能性が高まる。

さて、ここからは俺の推察だ。
近代に入ると都市に住む人々はそれまでとはまったく違う世界に生きるようになった。髪型も服装も生活習慣も言葉も価値感も、何もかも変化した。物の名前まで変わってしまったのだ。
しかし田舎に住む親たちは過去の習慣のまま生きている。時代に大きな変化が起こったとき、中心と周縁では時間の流れに差が生まれる。
あれは、その差をわかりやすく伝えるために生まれた「型」だったのではないか。
ルーツは、田舎から都会の息子を訪ねてきた老人が喋る言葉だ。その時代遅れの感じを誰かが「描写」したのではないか。
もっと言えば、祖父と父の差を見た孫たち(祖父の世界から完全に断絶している)が使いはじめたのだと思う。ある種の悪意を感じるからだ。結局は馬鹿にしているわけだ。
しかし、この表現が何とか通用したのは戦後の一時期までで、社会の均質化は一気に進み、「型」はリアリティを失った。
そもそも現代では老人が老人のように見えない。都会でも農村でも還暦はまだまだ現役で、「老いる」ということの意味も社会的役割も変化している。だからあの妙な「型」で老人を表現するのは二重に無意味ということになる。
では何故そんなものが延命し、劣化コピーを生み続けているのか。それは簡単で便利だからだ。努力して新しい表現に挑む意欲も能力もないから、効率よく誤魔化せるものを使ってしまうのである。
繰り返すが、あんな老人はどこにもいない。あれは「存在しない老人(のような不気味なもの)」だ。にもかかわらず皆が素直にそれを「老人」だと受け入れる。それこそが「型」というものの滑稽な本質で、「王様は裸だ」と叫ぶ「空気を読めないヤツ」がいればお約束は崩壊する。
老人だけではない。見渡せば外国人、同性愛者、金持ち、極道、様々な「型」と劣化コピーが蔓延しているではないか。
かつて大山倍達は「型」偏重の空手界を批判した。マス大山の理屈はシンプルだ。「型」だけ覚えても人は倒せない。逆に言えば、人を倒せて、はじめてその動きが有効だと証明できる。それが基準であるべきだ。
人を倒すのが表現だとすれば、「わしは××じゃ」では蟻一匹殺せません。
ただし、話し言葉は変化していくものである。ひょっとすると新しい時代の「老人の型」は、「僕は××です」なんてことになるかもしれない。

「何? わしが餓死寸前じゃと? 無礼者!
 少しばかり栄養が足らぬだけじゃ」
「え? 僕が餓死寸前だって? 厭だなあ、
 ちょっと栄養が足りないだけですよ」